咲き誇れ。

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ふぉ~ゆ~と“感謝”

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滝ちゃんねるを見て一通り泣いた後、とっても優しい気持ちになっている自分に気づきます。こんなことは、前にもあった。ふぉ~ゆ~クリエの帰り道、5月の空を見上げながら有楽町の駅まで歩いていたあの時。私は彼らを見ていると、どうやら“感謝”の気持ちをどこからか生じさせるようで。それは、楽しい、かっこいい、嬉しい、そんな感情よりもずっとずっと私を幸せにしてくれる。


辰巳雄大
越岡裕貴
福田悠太
松崎祐介

彼ら4人を、私はふぉ~ゆ~と呼ぶ。
中には1軍、と呼ぶ人もいる。それでもふぉ~ゆ~と呼ぶ。理由は二つ。一つは、ふぉ~ゆ~という名前が大好きだから。自己を出さずに、ただひたすらメインを立てる躍りをする彼ら、時には自分の感情を殺して、楽しい場では自分の感情がどうであれ心から楽しそうな顔をして笑う。そんな彼らのパフォーマンスが大好きで、あなたのために、他の誰かのために、という意味の名前がそんな彼らを表してるように思えた。

二つ目は大人数の中の1部だった彼らが、名前をつけて差別化を図ろうとしたことを、大事にしたかったから。他のメンバーに対する裏切り、と感じないこともなかったしたぶんファンも、きっと当人でさえも少しは思ったんじゃないかな。決して手放しで喜べることではなかったはず。でも、4人でやっていくことを彼らは選んだ。商業的には、正解だと思う。商業的な正解を選んだ彼らの覚悟をかっこいいと思った。

私は決してふぉ~ゆ~4人のファンではない。ただこっしーが好きだっただけ。周りにいる人はどうでも良かった。それは今でもあんまり変わってない。

もう一つ。私は彼らのデビューを願っているのか…?正直わからない。というか、少し前まで全く願ってなかった。私は、彼らの自分を押し殺したパフォーマンスが好きだったから。バックで、タンクトップに帽子を深々と被って誰が誰だか分からない群舞が好きだったから。デビューして、各々が自分の言葉で語り出したらそれはたぶん私の求めてる彼らじゃないなってのはずっと感じてた。

でもコントをやり始めた。ラジオが始まった。そして、クリエで単独公演を実現した。彼らが自分の言葉で語り始めた。そこで見たのはすごい幸せな空間だった。たぶんそれは、あの4人の気持ちとか姿勢とかそこから出てくる言葉に起因するんだろうなって。いつでも周りに感謝。長く苦難の時間を乗り越えてきているはずなのに、文句の一つも言わず、それを同情のネタに出すこともなく、ただ感謝の言葉とそれを体現するパフォーマンスをしてくれる。私たちを楽しませることだけにただただ献身してくれる。そこには私の好きなバックの彼らと何ら変わりのない人達がいた。


“感謝”

それは彼らが、少なくともファンの前では、自分達に与えられたもの全てに感謝し、周りにいる人たちに感謝し、今いる場所に根をはって最高のパフォーマンスを見せてくれるからそんな姿にインスパイアされて生ずる感情なんだと思う。

たぶんこっしーが好きなこととは全く関係のないところで、私はふぉ~ゆ~が好きだなって思ってます。こっしーを見てきた8年間、とかその前に彼らが味わった苦悩、とかそういう感傷的なものを別次元に置いて、ふぉ~ゆ~が好きだなって思ってます。

デビューしてほしいかは…今でも分かりません。デビューして壊れるもの、失うものもあることはよく知っているし。だけど、ふぉ~ゆ~4人の場合、それを失うことはないんじゃないかという期待もあります。

なんだか何を書いてるんだか全然分かんないな。まとめようがない。でも私のふぉ~ゆ~に対して持ってる感情もやっぱりこんな感じだな。全然分かんないまとまってない。

本当にまとまらないのでここで終わりにします。

追記:なんでこんなにまとまってないのにふぉ~ゆ~語りの日記を書き始めたかっていうと、たぶん今の気持ちが次回の滝ちゃんねるを見たら何か変わる気がしたから。一部か全部かは分からないけど、とりあえず今の気持ちを記録しておきます。

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