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咲き誇れ。

この瞬間のキセキを表す言葉はどこにあるのだろう? ***ジャニヲタ英語部参加者募集中!***

PLAYZONEと私。

久しぶりにPLAYZONE’11の光を見た。
1幕の終わり。至ってシンプルな、だけど体の線がよく分かる白い衣装を見に身に纏い、しなやかに飛び跳ねる光の粒子達があちこちに、そして規則的に舞う。1曲を呆然としたまま終え、幕間に入ったときに私は自分の中の何かに火が点いたことを感じ、それをじっくりと噛み締めていた。

2011年7月13日、27歳になる誕生日の日に、私はPLAYZONEと出会った。

細かく言うと2009年にキスマイが任されたときに私はこの舞台に足を運んでいて、声を合わせたらの楽曲に触発されてゴスペルを始めたぐらいに人生を動かされた経験もあるくらい大きな存在ではあったのだけど、私がPLAYZONEと言及するときには少年隊さんのものでもキスマイその他のものでもない、かつてWorld's Wing TSUBASA Premiumで翼の舞台に虜になった者がSONG&DANCIN'を見て、というスタンスでいる。

その日から今年30歳になるこの夏まで、青山劇場に足繁く通おうとはそれまで想像していなかったし、そして今年を最後に青山劇場に通うことがなくなることもまた、全く考えようもなかった。

私がこれほどまでにPLAYZONEにこだわる理由は二つある。なんのひねりもない、とてもシンプルな二つ、パフォーマンスとパフォーマー。

冒頭に書いたように、2011年の光は私にとって、全ての理想が統合されたようなもの。マーチングをやってきた私にとって、個を殺して全体に昇華させるフォーメーション移動は絶対的に美しいものだったし、剛ではなく柔の動きがぴったり合うことへの言い様のない興奮は他ならぬ翼とMADが、かつて23to24の行カナイデや十六夜で教えてくれた。粗野なエネルギーをそのままぶつけたようなGuys PLAYZONEもまた、WWTPでAfrican EDGEに心奪われていた私にとって、欠かすことができないものだった。

その意味で、2012年にABC-Zが抜けて、Travis Japanが入ったことによる変化はとても大きかった。つまり、2011年を越えるものでは到底なかったってこと。特に光は、、その差は歴然だったと思う。

だけど、私は2012年も青山劇場に通い続けた。それはひとえにパフォーマーが、PLAYZONEを大好きなPLAYZONEカンパニーのことが大好きだったから。そして見続けた結果、2012年の間にも、2013年にはもっと、Travis Japanはどんどん成長していった。Travis Japanの成長が、PLAYZONEの成長と言っても過言じゃないんじゃないかなとまでも思った。でも彼らだけじゃない、優馬だって、ふぉーゆーも、MADも変化してる。たぶんみんなが「ここが1年の集大成を見せる場」だと思っている限り、昨年と同じPLAYZONEはないんじゃないかなって思う。だから期待してしまう。

もうひとつ、やっぱり青山劇場のPLAYZONEというステージは、松本幸大という人を好きになった場所としていつまでも大切な場所。彼を見るようになって、その周りのたくさんの綺麗なものを見ることが出来たし、私の周りにも感謝してもしきれないほどのことが起きた。たくさんの人と話した。そんな思い出の詰まった場所でもある。

青山劇場での最後の夏が始まりますね。カンパニーとファンみんなにとって最高に熱い夏でありますように!