咲き誇れ。

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"MAD"

松本幸大とは。
私にとって全てが凡例外。

こんなことあるはずがない、こんなこと思うはずがない、そんな風に私の予想の範囲内を軽く飛び越えてくる。

今回の場合もそうだった。私は"MAD"という二人組について何かを思うつもりも、ましてやこうしてここに記録するつもりも全くなかった。基本的にユニットの人数は多い方が好きだし、「ふたり」というものに魅力を感じたことはほとんどなかったし。かつて14人だったMADの名前を背負った二人、なんていうドラマにも興味もなかったし。

だけど、今回の「愛なんだ」はまたも私に、こんなことあるはずがない、を起こしたのでした。すなわち、このパフォーマンスを見ている時に、私は"MAD"という二人組の存在が永遠なることを願ってしまっていたんです。絶対にそんなことあるはずないのに。

私は14人のMADが確かに好きでした。

MADは越岡裕貴という人を追っていく中で2005年に出会った私にとって最高のパフォーマンス集団でした。でも、そこに個人の感情や彼らの歴史を見たことはありませんでした。そこに見えるパフォーマンスが全てで、個々を見たら見えなくなってしまうものが好きだと思ってたから。松本幸大は中でも、誰よりも知らない人でした。単純に幸大が入所した時期が一番ジャニーズから離れていた時期だったからで、他の子たちはたまたま知っていたんです。でも、既に持っている情報以上のことを、MADの誰一人に対しても追おうとはしなかった。

過去から全部ひっくり返して感情移入してどんな格好で何をしても可愛かったキスマイとは真反対(笑)

今思うとほとんどが10代の子達に一体何を求めていたのだろうと思うけど、たぶん他のどのJr.よりもプロとして見ていて、はっきり言って彼らのステージの裏側にあるどんな苦労もドラマも知ったこっちゃなくて、辞めていく子は、その子のダンスがもう見れないことを残念に思いこそすれ、「ああ仕事を変えるんだな」くらいにしか思わなかった。それは全て、「裏側」を感じさせない圧倒的なパフォーマンスから来てるんだと思う。とにかく、たかが10代の子達に、そんな「冷たい感情」と「尊敬と畏怖」に近いようなまなざしを向けていました。

私が松本幸大を知った2011年、MADは4人でした。そして、その後たったの2人になりました。でもそれも、単にこれまでに何度となく迫られたであろう人生の選択の場面で、ここまでこの道を選び続けてきたのが2人だっただけだと思っていました。

だけど「愛なんだ」を見ている時、あ、二人ってこういうことなんだなと思う瞬間があって。それは二人が舞台中央ですれ違う時だったのだけれど、決して目を合わせることはなく、二人とも客席を見ながら笑顔ですっと交差して、まるで相手のことなんか見えてないかのように。でも、お互いの相手はお互い同志しかいないんだから、絶対に背中では意識をしてるんだよね。それがなんだか絶対的ですごい綺麗だなって思って。かというと二人が向き合って半ば苦笑いな距離感なくせしてお互いを指差して笑う。

その時、あー今、この瞬間を冷凍保存できたらってすっごく、願った。幸大だけじゃなくて、池たんが隣にいる"MAD"を願ったのは初めてだった。完璧じゃないし、みんな"MAD"の歌声を評価してるけどそれも正直なところそれほどでもないなあって思ってるのにね。そしてその何十倍かくらいの強さでステージ上の幸大をいつまでも、できるだけ長く、見ていたいと願った。本当に痛いほど。

"MAD"の二人を見てるときに沸き上がるこの感情は、不倫してる人の気持ちと近いものなんじゃないかと思うときがたまにあります(笑)不倫したことないから分かりませんが!未来が見えない、希望も見出だせないのに大好きで大好きで、ただただ今が永遠になればいいなんて非建設的なことを思ってる。そして、ちょっとのご褒美に過剰に喜んで。

青山劇場のPLAYZONEが終わるこの冬が来ることがとても恐ろしいです。いよいよタイムリミットというとき、私はどうすればいい?