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咲き誇れ。

この瞬間のキセキを表す言葉はどこにあるのだろう? ***ジャニヲタ英語部参加者募集中!***

秋の日生劇場に想いを馳せて

日生劇場とは、東京都千代田区にある日本生命曰比谷ビルの中にある劇場である。座席数1330。1階、GC階、2階で構成されている。

中に入ると歴史を感じる少しレトロな印象の内装、階段を2つほど上がって、さらにそこから細い螺旋階段が伸びている。劇場内は何かの胎内に入ったかのような曲線を描き、珊瑚礁のようにボコボコとした壁面で囲まれている。

この日生劇場が、私は殊に秋の匂いを感じると泣きたいくらい恋しくなり、ひとたび中に入るとそれだけで胸がきゅっとなるくらいの幸せで包まれる。

なぜだろう?それはとても単純で、この劇場にはたくさんの幸せな思い出が詰まっているからだ。私のジャニヲタ人生は、日生劇場なしには絶対に語れない。

人生で初めて日生劇場に足を踏み入れたのは、2007年の10月、World's Wing TSUBASA Premiumでだった。当時ごくせんをきっかけにジャニーズに出戻ってきて2年、劇場のことになんか全く興味のなかった私は、翼のソロコンを日生劇場でやるのは見込まれる観客動員数が少ないからだろうかなんてバカなことを考えていた。そして見たステージ。めくるめく翼が繰り広げる世界にすっかり魅了された私はさらに後日のチケットを手にすることになる。2度目の日生劇場は2階の上手寄り通路前。横尾くんがすぐ後ろで踊る席だった。チケットは横尾担の子が劇場で席を選んで購入した。そういう時代だった。はっきり言ってチケットは余りまくっていた。

次の日生劇場はその1年後にWWTPが再演された時。初演で衝撃を受けて新しい世界が開ける経験をした私は、最初から3枚のチケットを手にしていた。初演とはまた違ったあまりにも迫力のあるステージに息を飲んだ。最後の演目は翼が歌う越路吹雪さんの「ラストダンスは私に」だった。今でも、この2度のWWTPを越えるステージはない。私の中では。

それからは少し日生劇場から離れ、キスマイを追って仙台に行ったり神戸に行ったり横浜に行ったりすることになるのだけれど…

戻ってきたのはKis-My-Ft2A.B.C-Zが少年たちを上演した2010年9月。蓋を開けてみたらニカと横尾くんがいなかった、魔の公演。ジャニーズから心が少し離れてリア恋に走った上に、フラれそうになっていた時期。お目当ての子がいないとなって心ここに非ずの状態で日生劇場に足を運んだ私は、とっつーの「僕に聞くのかい?」を始めとする素敵なメロディーの曲たちに救われて帰ってきた。

少年たちは、ここから私の大好きな公演となり、図らずも秋の日生劇場には思い出が増えていった。

翌年夏にPLAYZONEにはまった私が、PZ出演者の後を追っかけてたどり着いた場所はやっぱり秋の少年たちだった。関西勢の関東初上陸だった2011年の公演はこちらもやはりチケットがダブついていた。明日暇だ!と思ったらGC階の1桁代が定価以下で手に入っていた。このときまでに既に日生劇場が大好きになっていた私にとって、この舞台は日々の励ましだった。気持ちが下に向いたときにふと立ち寄って幸せを貰える喫茶店みたいな場所。それが今となってはとても贅沢な感覚だということは重々分かっているのだけど。

さらにその少し前にあるもうひとつの思い出が、演舞城改修の間に日生劇場で行われた滝沢歌舞伎だ。2011年のこどもの日公演に入ることが出来た私は、舞台上で小さな子どもとJr.によって繰り広げられた平和度1000万点の世界を見て、もっと現場に行こうと決意した。

松本幸大担当としての最高の思い出も日生劇場にある。

まずは、2013年秋のANOTHER。少しだけど、ほんの少しだけど松本幸大の台詞が増え、注目を集めた公演だと思っている。パインと自分で役名を名乗ってザワついたのも今では懐かしい。

そして、2014年冬のPLAYZONE。1月13日(月祝)、松本幸大の誕生日にXC列通路脇で入れて頂いた思い出は、ただ一言、最高の思い出である。このとき、今この瞬間があるまでに関わってくれた人々全てに感謝をしたい気持ちだった。

少しのブランクを経て、また今年入った秋の日生劇場では、次のJr.がデビュー目指して確実に切磋琢磨している姿を見ることが出来た。大好きな少年たちの曲とともに。

以上が私の日生劇場とともにある思い出である。今日もまたあの劇場で、私のように少しずつ幸せな思い出を積み重ねていく人が少しもでも多いことを願うばかりである。