咲き誇れ。

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ある松本幸大担にとっての2015年10月9日

極めて自己中心的な話。私は自分と、自分の担当のことばかり考えていた。

10月8日23時頃、今年5月のシアタークリエI公演を特集した滝ちゃんねるの動画で、"MAD"がやった鍵のない箱だけが見られない、とTwitterで呟く方がいた。私はすぐに自分の目でも確認したものの、恐らく曲の権利かなんかだろうと知ったようなことを言って自分自身を納得させて、そのままMasterpieceを見て自担の歌声に惚れ惚れしたり、They武道のクルトンを見てほっこりしたりしていた。0時近かったと思う。

再びTwitterに戻ってみると、メディア情報から池田優の名前が消えたという。変わったことはその2つだけ。あとはいくら何を検索したところで何も分からなかった。

お風呂に入って、よく分からない感情に押しつぶされそうで、どうにか吐き出したくて泣いた。だけど何に泣いているのか分からなかった。それからTwitter上で騒ぎ出したのは、主に幸大担と、窓系列の担当の方だったと思う。ここ最近は、"MAD"も、MADEも、少しのメディア露出があった。ふぉ~ゆ~は言わずもがな、They武道も単独クリエをやり、web連載を始めていた。なんとなく、未来が続いていくものだと思っていたところにそうではないんだという現実を突きつけられた感じだった。

私の場合は、頭の中にただぐるぐると色んな思考が回っていたのだけど、その中から絞り出したのは、幸大は今後どうなるんだろう?という不安だった。嵐コンは?"MAD"は?今後幸大が活躍する場所なんてあるのか?そうだ、クリエの写真を買いに行かなきゃ…。池たんのことじゃなくて、自担のこと、そして結局のところ自分が幸大に今後会えるのかどうか?ということがとにかく気になっただけだった。

まるで突然悪いものでも吸収したかのように具合が悪くなって眠れなくなって、3時半頃に無理矢理寝たと思ったらすごい悪夢を見た。

朝起きても状況は何も変わっておらず、朝起きて初めて昨日の状況を知った方達が慌て始めたようだった。職場に行き、淡々と仕事をしていたら「ジャニショに行くならお供します!」というLINEを貰って、なんだかほっとして力が抜ける感じがした。それまで自分が息を張り詰めて、感情を閉じ込めていたことに気がついた。

私が仕事終わりでジャニショに向かっている途中、池たんの1つだけある個人写真が売り切れたとの報を受けた。原宿駅を降りて半ば小走りで店頭に行き、震える手でクリエ混合の欄に1を記入していった。友人と合流して遅めのランチ。気持ちを言葉にしたらやっと思考が整理されてきた。

私は松本幸大の担当を名乗っている。幸大担を初めて名乗った時、私の心のなかには幸大個人が好きという気持ちの前にPLAYZONEという舞台が好きという気持ちがあった。誰かの担当を名乗るのは4年ぶりくらいだったので、幸大担当です、と名乗れる楽さというか、ジャニオタ内でのやり取りのスムーズさが有り難かった。たふん最初はそんな気持ち。PLAYZONEやその他舞台に通うのに便利な名刺代わり。

だけど、現場に足を運ぶたびにその気持ちに変化が生まれてくる。舞台上にいる松本幸大をずっと見ていたいという思いだけが強くなる。個人的には、ジャニーズ、殊にJr.に関して私が持っている感情は常に「成長が嬉しい」であって、さらにMAD関連のJr.達に関しては辞めていくことを少し寂しく思いはするけど、どちらかと言うと英断を称える気持ちが強かった。辞めていく本人やその担当の方にとってはお前は何様だよ、と言いたくなるような話だけれど。だけど、松本幸大に関しては「今幸大が舞台上で踊っていてそれを私が見ているこの瞬間を冷凍保存してしまいたい」と思っていた。彼の成長とか、活躍の場所が広がるとかあまり関係がなくて、ただ自分の視界の中にいてくれれば良かった。

"MAD"に関してもそうだった。私が幸大を知った時、MADは4人だった。でも、ユニット自体にあまり興味はなかった。幸宏が辞めて、野田くんが辞めて寂しかったけど、やっぱりどちらかというとこれからの彼らの将来に明るい希望を願う気持ちの方が強かった。だけど2014年に愛なんだのパフォーマンスを見た時、幸大がいて池たんがいる"MAD"が永遠であれば良いのにと思った。なぜ突然そう思ったのか、理由は特に分からない。

ところで、この話に帰結点はない。2015年10月9日のこの日私は、否応なしに自分の「自担に対する気持ち」と向き合わせられた。そしてそれは、ただ自分の視界の中にいて欲しいという極めて自分中心の、とても純粋な欲望でしかなかった。

池たんが事務所を退所したというのなら、それに対して起こるのは「嫌だ」という感情。だって私が好きな2人の"MAD"が見られなくなる。幸大が活躍の基盤としていた、たった2人だったユニットがなくなるのは、場合に拠っては幸大を見られる機会が減ることに繋がるかもしれない。そんなの嫌だ。綺麗ごとなんて言えない。

池たんに対して「今までありがとう」なんていう言葉を贈る?Twitterにアップする?気にもなれない。振り返ったところで隣にいる幸大ばかりを双眼鏡で追い続けてきた私にはもっともらしいことは言えないし。正直なところまだ受け入れてないし。普段菩薩のような母親のような(と自分で言うのもおかしいけど)心でJr.を見守っている私も、松本幸大が絡んでくるとただのエゴのかたまりなんだなあと今更ながらに実感した。

だけど池たんの素晴らしい新たな未来を願う気持ちも本当。そしてもちろん幸大の未来も。

とにかく今自分がやるべきことは、今現在の松本幸大を全力で好きでいること、だと思った。過去を振り返ったり未来を絶望したりはしない。きっとそれは本人がやってる。その上できっと努力をしている。嬉しい報せには心から祝福して大騒ぎすること。そしてたとえ何があっても本人の選択をただ受け入れること。

2015年10月9日が終わり、また新しい日が始まった。まるで事態が少しの余韻を残しながら収束したかのようだった。だけど、何も変わっていない。何も分かっていない。この恐ろしかった1日は、たぶん何でもない1日なんだと思う。むしろ、松本幸大担としての闘いの日々はこれから始まっていく。覚悟は、した。

…たぶん。

追記:10月14日、池たんの写真がジャニショから撤去されたとのこと。潔く諦めよう。池田優の未来に大きな幸せがあらんことを祈ってこの言葉を贈りたい。「ありがとう。」