咲き誇れ。

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2016年Endless SHOCK観劇感想

2016年2月15日。

 

2015年3月20日にSHOCKを観劇して以来、初めて帝国劇場に足を踏み入れた。あの日の記憶、劇場の雰囲気が蘇るけれど、驚いたことにあの日のステージの内容は何も思い出せなかった。もちろん事故を受けての光一の挨拶があった後ではあるが、無事に幕が開き、いつも通りの笑顔があって、いつも通り素晴らしいショーが丁寧に進められ、いつも通り笑顔と少しの涙で終わったことしか思い出せない。ただただ目の前に繰り広げられるショーを、手を握り締めて見守っていた3時間だったのだと今になって思う。

 

 

kotonoha13.hatenablog.com

 

と、いうか実は本当に2015年のSHOCKを私は思い出せない。リカ役の女優さんがどうだったか(後にドッグファイトで観た時には、あれほどまでに熱狂してすっかりファンになった宮澤エマちゃんなのだが)、前年度からの変更点がどうだったか(新曲が数曲入ったり、楽屋シーンのヤラとコウイチの言い争いも歌になったりという情報だけは頭に入っているけれどそれを観てどう思ったかが思い出せない)、CONTINUEが今の形になって2年目に受けた印象がどうだったか、大好きな夢幻の群舞がどうだったか。思い出せないことに気づいていなかった。忘れられない日に観劇したにも関わらず、その記憶を閉じ込めていたことに今さらになって気づいた。

ともあれ、今年のSHOCKは個人的にとても心穏やかに迎えることができ、その分劇場の雰囲気やショー、物語の内容自体を楽しみ、また新たな発見が出来た観劇だった。私自身SHOCKを観るのは合計で10回目くらいだろうか?2011年から年1~2回観ているこの回数が、多いか少ないかは別として、私としてはSHOCKを少しずつ消化し始めてはいるものの、まだまだ見る度に無数の違った感情、これまで経験したことのない感情を引き起こされる。

SHOCKを観劇する時は、少し前に席についてオケのチューニングからオープニングの曲を聴くことが一つの楽しみでもある。スクリーンに映し出されるNYの街並みとEndless SHOCKの文字を眺めながら、これから始まる舞台への期待と少しの緊張を噛み締める。

そして幕が開く。

毎年、今年のリカはどんなリカだろうということも楽しみにしているのだが、小南満祐子さん演じるリカはとても大人っぽいリカだと思った。「コウイチについていく」と発言しながらも、たまにお姉さんのように光一を心配しているようにも感じられた。だからこそ、かは分からないが告白のシーンでのリカの台詞も、より強く感じた。改めて、ステージはその出演者1人が違うだけでこんなにも異なった彩りを持つんだなと思う。

ジャニーズJr.からの出演者は、辰巳雄大、越岡裕貴、野澤祐樹、諸星翔希、岸孝良、松倉海斗。松倉くんがSHOCKカンパニーとして演じ踊っているのを観るのは初めてだった。それまでシャカリキダンスと称される、それはそれでとてもかわいらしい踊り方しか観たことがなかった。でも、ちょっと見くらいの軽い気持ちで見たら、集団にしっかり溶け込みながらも彼独特の雰囲気の出ている、とても滑らかでちょっとセクシー(!)なダンスに魅了された。双眼鏡を覗きながら俄かに信じられなくて、あれ松倉だよな?と二度見してしまったくらい。岸くんは昨年初めて観たのが怪我をしたと報じられながらも懸命に演じている姿だったので、特別な感情なしにきちんと観たという点では今回が初めてだったかもしれない。持ち前のスタイルの良さに加えて体格もしっかりした立ち姿がとても綺麗だった。そして、実は冒頭のショーのシーンでの笑顔が2階席からもぱっと輝いて見えて、そこから最後まで岸くんに視線を奪われがちだった。とても舞台映えのする人だなと、昨年気づかなかった新たな魅力を発見した。とにかくそんな発見が楽しいのだ。

話が逸れるけれど、SHOCKに自担Jr.が出ているということは、どんなに誇らしいことだろうと妄想する時がある。帝国劇場のステージで、最高峰と称されるショーを演じる。堂本光一という唯一無二の座長に率いられて。その誇りを胸に踊る表情を見られるSHOCK出演Jr.の担当さんがとてもとても羨ましい。そういった意味で、ふぉ~ゆ~が2人になりステージの前方に凛として立つことが、さも当然のように感じたこともまた、担当ではないにしろとても誇らしいことだったのだけど。。

屋良くんは、年間を通して見る回数がもしかしたら一番多いんじゃないかと思うくらいの人なのだけど、いつまで経っても彼を見ることに慣れないと思った。いつまで経っても心を揺さぶられ、時には戸惑わせられ、時に畏れを感じ、鳥肌が立つほどの衝撃を与えられる。告白のシーンを何度観ても引き付けを起こすのではと思うくらい泣かされるのに、また観たいと思うのは私がMだからというわけではないはずだ。また観たい。何度でも観たい。屋良くん演じるあまりにも弱くて脆くて、でも必死なヤラが、心から愛おしいからだ。

 

愛おしい、という感情は、これまでSHOCKを観ていて感じたことのない感情だと思う。ここまで散々演者に関してなんだかんだ書いてきたところでこんなことを言うのもなんだが、「SHOCKのステージ凄い!Jr.頑張ってる!フライング美しい!」などという物語の外から観たときに抱く感情よりも、物語の中にいるヤラやコウイチに対して湧き上がる想いのようなものが今年の観劇では勝っていたような気がする。それだけ物語に引き込まれていて、純粋な気持ちで楽しんだ。

 

たぶん、会いに行ってしまうような気がする。もう一度SHOCKのストーリーの中の彼らに。

今回私は、帝国劇場に再び足を踏み入れたこと自体がとても嬉しく、ウキウキしていた。なので帝国劇場グッズを買ってしまった。2016年SHOCKの2度目があったら(たぶんあるだろう)は2階の喫茶店に行こうと思っている。観劇って楽しい!

今年も、SHOCKのパンフレットではたくさんの光一やその他出演者の想いが語られている。そして何より「エンターテイナーの条件」堂本光一・著(会場限定版カバーのもの購入したが目次以外未読)にありったけのことが書いてあるだろうから、自分なんかのEndless SHOCKが何たるかの似非哲学的論評みたいなことは一切やめておこうと思う。

 

SHOCKはきっと、そのどの部分を切り取ったとしても美しい。たまに、今観ているこの景色を、そのまま小箱に詰めて持って帰って永遠に見ていたいと思う瞬間がある。でも、同じ空間にいて、台詞が発せられて物語が進んでいく中で演者と観客の気持ちが舞台上で一つになり、その上で繰り広げられるショーが何よりも美しいことを知っている。2015年3月19日から1年を経て、そんなステージをもう一度観ることができたことが、心から嬉しかった。今はその気持ちだけを噛み締めておこう。