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咲き誇れ。

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KAT-TUN10周年と私と卒業

KAT-TUNってうちらの青春だよね
…と、高校時代からの友達(山下担)が言ったらしい。KAT-TUNを目の敵にしていた(もちろんネタで、だと思いたい)その友達がどの程度本気でその言葉を言っているかは疑わしいところだけど、そう言われて思い返してみると、確かに彼らは、綺麗なものもそうでないものもひっくるめて巻き込んで私たちを翻弄していった、最大級で最高の青春だった。

うちら、と言ったその友達も含め私たちはちょうどKAT-TUNと同級生だ。今でこそ同い年である赤西仁はいなくなってしまったけど。彼らが年を取れば私たちも年をとる、それが少なくとも私にとっては大きな意味を持っていた。

ということで、この記事は主にKAT-TUNについてというより自分の思い出話なので、今、今世紀最大に暇だという方以外はページの戻るボタンをそっと押して欲しい。

良いですか…?

では。

私とKAT-TUNとの関わりは1999年、自分が中3だった時から始まった。相葉ちゃんが好きな中学生だった私は、あの代の金八先生3年B組と一緒に中学校を卒業した。赤いTシャツを着たちょっと怖めな深川明彦くんは、抱えてる問題を解決して最後に「寿司屋になる!」と言い、ふにゃっとしてぶちゃいくな笑顔で笑った。私はその笑顔に恋をしてしまったのだと思う。

と、言いつつ同時期にラルクにだだはまっていた私はその後某SOPHIAというバンドに心血を注ぐ日々が始まるのでジャニーズからは少し遠ざかった高校生活を送るのだが…。

高2のクラスの同級生に、前述の山下担と、亀担がいた。山下担は4月の最初の席が隣同士だった。亀担の子は家が近かった。亀がKAT-TUNというユニットを組み、クランキーのCMをやっていることは知っていた。大学の友達の一人に、小さい頃亀と幼馴染みだったという子がいた。亀のことを、ごく軽い気持ちでずっと気にはしていた。まさか、そのことがその後の人生を大きく変えるとは夢にも思わずに。

ドラマ「ごくせん」に亀梨和也が出演する、と聞いたときもとても軽い気持ちだった。久しぶりにかつての明彦くんを見てみようか、と。1話を見終えた時に、これはまずいと思ったことは強烈に覚えている。笑わない小田切竜の、笑顔を見てみたいと思った。かつて、金八先生で見たあのふにゃっとした笑顔でぶちゃいくにころころ笑ってる姿を。

果たして手に取ったアイドル誌をレジに運ぶとき、私は一つの決断をした。かつてのジャニヲタ時の経験と、SOPHIAファンだった時の自分の行動を考えると、ここから果てのない沼に落ちていくとこは明らかだった。それでもいいのか?と自問してはみたものの、答えはすぐに出た。考えるまでもなかった。

当時私は大学生。高校の亀担だった同級生に連絡した。「亀梨に落ちた」、って今思うとどんな連絡だよって思うけど。いわゆる「ごくせん出」の私を快く迎えてくれた友人は、それだけでなく私をKAT-TUNの春のコンサートに誘ってくれた。ただちょうど短期留学中だったので、私のKAT-TUN初コンサートはもう少しあと。2005年の6月5日に亀担と入った横浜アリーナだ。

そこから再び開いたジャニーズの扉の先は、予想通りの果てのない沼だったけど、とてつもなく幸せな沼だった。そして、色とりどりの感情と、素晴らしい景色と、たくさんの出会いを与えてくれた。

2006年3月22日のKAT-TUNのデビューコンサートを、私は就活のため断念した。とても悲しかったけど、後悔は今でもしていない。自分の人生の大切なことを、彼らのために投げやりにするのは違うと思ったから。その考え方は、他でもないKAT-TUNを見て教わったことである気がする。デビューアルバムを何度も何度も何度も聞きながら彼らの勢いに背中を押されて就活に臨んでいた。

そのおかげもあってか、彼らの正社員デビュー?から1年後の2007年に晴れて大学を卒業し正社員になった私は、そこから4年間ガムシャラに働いていた。でも、その中で諦めきれない夢があった。2009年、少しずつその夢について考え出した時に、背中を押してくれたのは「ごくせん」の映画だった。かつての小田切竜は教育実習生になっていた。学園ものを見て自分も、なんて単純だけど、強く背中を押された。そして、夏のコンサートで仁がWonderを歌うパフォーマンスを見ながら私は心を決めていた。やっぱり自分は英語が好きで、英語が好きって気持ちをもっとたくさんの子どもたちに持ってもらいたい。英語の教師になろう、と。ちなみにこの、コンサート中に自分の人生について考える私の癖は今でも続いてる。だからか、コンサート中に思考がどこかに行ってしまい、肝心のコンサートの細かい部分についてあまり覚えてないことが多かったりして。

2010年に仁がKAT-TUNを抜けた。妙に冷静に納得している自分がいた。そもそも彼が留学した時も喜んでたし。繰り返すけど、そしてそんなに拘ることではないことも分かってるけど、仁が同い年だということが何故か私にはとても大きな影響を与えていたのだ。仁がKAT-TUNを抜けることはとても悲しかったけど、好きなことをして欲しいとも思っていた。KAT-TUNを捨てていったかのように見える彼の行動を憎みつつも、心のどこかでそんな仁に憧れてたんだと思う。そしてその憧れの先に向かうように、私も夢を叶えるべく走り出していた。

2011年、私は松本幸大の担当となり、すっかり舞台班になっていた。学校の仕事は、ちょっと死にそうなくらいには忙しかった。KAT-TUNからは離れて久しかったけれど、コンサートだけはちょこちょこ行っていた。そこでは、色んな背負っているものを一瞬だけその場に降ろして、MCでころころ笑ってる亀を見ることが出来たから。

2013年、KAT-TUNは4人になった。タメ旅に繋がっていく世界一~シリーズを見ていたら、そこにはいつも探し求めていた、それまでテレビを通してでは見つけられなかった、ころころ笑う亀がいた。

2015年11月、田口がKAT-TUNを脱退しジャニーズ事務所を辞めることを発表した。理由は分からない。脱退するのは春。そこまでの期間は、悲痛に暮れて過ごすファンにとっては本当に本当に辛い期間だとは思った。田口はテレビでもラジオでも雑誌でも理由を話す気はないようだった。私は、もちろんあくまでも個人的な意見だけれど私は、田口のこのやり方がとても好きだった。

奇しくも私は3月で教師を辞める。理由はごくプライベートなことで、ありがたくも悲しんでくれる生徒もたくさんいたけれど。最後まで生徒を見て、卒業しても同じ場所で待っていてあげられない私は裏切り者だという気持ちはとても強かった。何より教師という職業を辞めたいわけでは絶対になかった。教員生活は、私にとって夢の日々だった。でも辞める選択をした。今後の自分の人生のために。

そんな自分に起こったことと、自分の選択に今回のKAT-TUNを重ね合わせるわけでは決してない。でも、10年という月日の中で色んなものが形を変えていくことは、そう悲観することではないんじゃないかと思っている。もちろん、田口のあの笑顔と美しいパフォーマンスを見られなくなるのはとってもとってもとっても悲しいことだけれど。

でも、変わらないものはある。先週のタメ旅を見ていたら、亀は田村さんを弄りながら、心からぶっっさいくな顔をしてころころころころ笑ってた。それを見ていたら、何故か神サマーコンサートの特典映像で、KAT-TUN6人で話している時の嬉しそうな亀が頭に浮かんできて、今テレビの中にいる亀と重なった。なーんにも変わってないって思った。そのまんま。デビューして、垢抜けて、色んな仕事をこなしてきて、辛い経験もしてきた10何年後の亀の笑顔は、びっくりするくらい昔のまんまだった。少なくとも私にとっては、亀のこの変わらない笑顔がKAT-TUNの10年の答えになってくれる気がした。

KAT-TUNと共に年を重ねて、笑ったり泣いたり、少し成長したと思ったら壁にぶち当たって、時に砕けたり少しだけ形を変えたりしながら10年間を過ごせたことを、今心から嬉しく、そして誇りに思う。デビュー10周年、おめでとう。

あと自分にも。教員生活お疲れ様。卒業おめでとう!

いつかまたどこかで、成長した、でもどこか変わらない昔のままの君と、再会できる日を楽しみにしているよ。