咲き誇れ。

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「それでもジャニーズが好き?」

ここ最近色々なことがあった。ただその色々なことの事情とか真実とかいったものは知る由も知る必要もないことなので、ここでその議論をするつもりはない。

でも、その色々なことの中で何度も問われ、何があっても答えが変わらないものがあることにと気づいた。

「それでもジャニーズが好きなの?」

答えはいつ何度問われても同じ。

「ジャニーズが好き。」
「ジャニーズだから好き。」

これって自分の生まれ育った家に対する想いに似てるな、と思う。どんなに問題があっても、世間的にどうであっても、自分の生まれ育った家はそこしかない。他と比べて劣るからと切り捨てることも、そもそも相対的な見方さえもできないんじゃないだろうか。

だって「なぜ好きなの?」と問われれば、
「ジャニーズだから」としか答えようがないのだから。

ただ、ここで言う「ジャニーズだから好き」という答えに、商業的ブランド力という観点での「ジャニーズ」は全く意味を成さない。

もうだいぶ前から、ジャニーズというブランドは一タレントが芸能界で活躍していくのに良い方向に働くことは少ないんじゃないかと感じることは多い。ネットの肖像権問題とかチケット問題とか旧体制過ぎるやり方に端を発するものはもちろん、特に10代のジャニーズJr.達が、「ジャニーズなのに」「どうせジャニーズでしょ」というレッテルを張られて正当な評価をされる機会を悉く逃していることも多い(注:この発言はモンペ傾向が入っている可能性があります)。どんなに素晴らしい才能に溢れた輝かしい子達(トラジャとかトラジャとかトラジャとか)を言葉を尽くして宣伝しようとしても、このレッテルはその全てをはねのける。(注:モンペ)

正直なところ、一タレントに思い入れて応援する気持ちが強くなればなるほど、もう辞めた方がいいんじゃない…とふと心の底で思ってしまう回数も増えていく。辞めて欲しいと思うこともある。

それでも、少なくとも私は「ジャニーズだから」そのタレントが特別で大好きで、ジャニーズでなくなったときに同一人物であるそのタレントは応援対象じゃなくなる。もっと言うと(これはさらに私だけかもしれないけど)ジャニーズだったら顔も知らないJr.でも特別で大好きなのだ。

職業柄、この感覚は自分の学校の生徒にたとえるてとても腑に落ちている。(さっきジャニーズを家庭にたとえておいて、早速たとえを変えているところには深く突っ込まないでくださいな。)

自分の学校の生徒はみんな無条件にかわいいのだ。どんなに問題児でも、それこそ顔も知らなくても、入学してきたその瞬間からかわいい。頑張って活躍していればとにかく嬉しい。そして誇らしい。電車で自分の学校の制服を着ている子がマナー違反をしていたら怒る。でも、同じ高校生でも、違う制服を着た子供達には特になんの感情も起こらない。嫌いな訳じゃない。びっくりするほど興味がないのだ。

この話の行き着く先は特になくて、ただジャニーズが好きなんだということを言いたかっただけなのだけど、ここまで書いて自分は永遠にこのどうしようもない事務所の人たちを応援していく運命から逃れられないのだということが論理的にも分かってしまってちょっと絶望している。

そんなわけで、とにかくその私の「家庭」なり「学校」なりが出来るだけ良い環境であることをただひたすらに切に願っておく。誰よりも自分のために。