咲き誇れ。

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【Travis Japan】Precious Things~誇り高く優しき虎の子達~

断言しよう。寅年の今年、2022年。彼らはデビューする。
ということで、盛大に遅刻している(もはや遅刻どころではないほどに、だ)が、はてなブログの特別お題「わたしの推し」記事を今さらながら書いてみる。

私がTravis Japanを推す理由、それは彼らが唯一無二の存在だからだ。

2021年の夏の終わり、YouTubeで静かに一つのティザーが公開された。そこには、こんな文言があった。
"Travis Japan meets JOHNNY'S CLASSICS"
www.youtube.com
詳しいことは何も分からなかったが、この文字を見た時、私は確信した。ここが、きっとTravis Japanの魅力を最大限に発揮できる最高の舞台になるということを。

"classic"
この言葉が、Travis Japanにはよく似合う。もともと燕尾服と蝶ネクタイで歌い踊る舞台のために結成されたグループだ。どこか昔風の、クラシカルな雰囲気が似合うのは当然と言えばそうなのかもしれない。
でも、それだけではない。
「歴史的」「由緒ある」という意味を持つこの言葉を背負おうとする時、そこには先人達が積み重ねてきた変えられない過去という絶対的な壁が立ちはだかる。それは、Johnny's classicと銘打ったジャニーズの過去の楽曲に対しても当てはまるだろう。その中には、もうグループが解散して本人達によって永遠に披露されることのないだろう楽曲も含まれる。
そんな過去の楽曲を、YouTubeという今やほとんどその地位をテレビと取って代わろうとしている媒体で再生させる。しかも、オリジナルとは違った、新しい形で。ともすると過去のジャニーズタレントの尊厳を傷つけてしまう可能性さえあるだろうこのプロジェクトの担い手に、Travis Japanが選ばれた。
これは、彼らのパフォーマンス、そしてパフォーマンスに対する彼らの姿勢に事務所からの絶対的な信頼があることを意味すると思う。彼らが自分達の辿ってきた足跡や、先輩達の積み上げてきたもの、つまり過去をとても尊重し、それがグループの一つの芯となっていることはファンの立場でもよく感じることであるから、むしろこのプロジェクト自体、Travis Japanというグループがあったからこそ立ち上がったのではないかと思うのは買い被り過ぎだろうか。
もう一つ。Travis Japanには品格がある。それは主に彼らの発言から感じることだ。彼らは、殊そのパフォーマンスに関して、決して多くを語らない。ダンスの秘訣を訊かれれば、さも当然かのように「練習あるのみ」とだけ即答する。「がんばってます」、「苦労してます」とアピールする言葉もないし、うわべの言葉を並び立てて虚勢を張ることもない。また、決して他を下げたり否定することがなく、常に他を尊重する精神が根底にあることを窺わせる言葉遣いをする。彼らが個人的な私利私欲を口にする場面も少ないように感じる(バラエティー等求められる場面は別として)。分かりやすく言えばガツガツしていない、奥ゆかしい。人を押し退けて前へ出るようなことをしない。それが芸能の世界で、良いか悪いかは別として。
しかしひとたび彼らのステージを見れば、普段の彼らの佇まいからは想像し得ないほどの圧倒的な支配力で、図々しいほどに心の奥の奥まで入り込んでくる。そこには奥ゆかしさなど微塵もなく、「本物」をいとも楽しそうに自信満々に見せつけてくる。私はこれを品格であり、「一流」=“classic”だと思っている。

シンクロダンス、メンバー同士の絆、彼ら自身の刻んできた歴史…私がTravis Japanを推す理由は無数にある。でも、彼らでなくてはならない理由を一つ挙げるとすれば、こんなにもclassicが似合うアイドルは他にいない、そんな唯一無二の存在だからだと言えるだろう。

けれども、そんな、誤解を恐れずに言えば「手段を選んできた」彼らが、ある時から少し変わった。自分達の「CDデビューをしたい」という望みを口にするようになったのだ。そして満を持して寅年の今年、彼らは「デビューする!」と高らかに宣言した。そこに並々ならぬ決意があることは明白だろう。大人しかった虎が牙を剥いた時、必ず世界は動く。そう、私は信じている。