咲き誇れ。

この瞬間のキセキを表す言葉はどこにあるのだろう?  ***ジャニヲタ英語部参加者募集中!***

ふぉーゆークリエ公演を経て思うこと徒然

客席との以心伝心、あうんの呼吸。たとえば嵐曲のイントロで全てを察してテンションMAXになる観客。たぶんそれは本人達の望んでた反応とぴたりと一致して、そして観客は身体に馴染んだ手振りと掛け声を自然反射的に無心でやっている。

ファンと一緒に歩んできた道が長いからこそその空間は成立して、暖かい感情で覆われたような居心地の良いその場所を出ると、まさに多幸感ともいえるもので溢れてることに気づく。

そんな空間こそが、私にとって理想のライブ。

私はジャニヲタである前にSOPHIANS(SOPHIAファンのことをそう呼びます)なんですが、SOPHIAの楽曲のひとつで「エンドロール」という曲の中にこんな歌詞があります。

僕達は何も怖れない
共に泣いて笑った日のことを忘れない限り
流れないエンドロール
幕が降りても鳴り止まない拍手を胸に刻んで

色んな人が、普段は色んな場所でそれぞれの不安や困難と戦いながら生きていて、でもふとライブという空間にみんなが集まると、その瞬間はみんなで一つの空間を共有して共に泣いたり笑ったりする。たとえ終わったらまた別々の人生を生きていくとしても、みんなで共有したあの瞬間があれば、ライブの日のことを思い出せば、一人じゃないよとそっと背中を押してもらえる。

そんな理想の空間。そしてふぉーゆーのライブは私にとってそれにとても近いものだ。

だからとても楽しかった。心の底から歓声を上げたし、飛んだり跳ねたり笑ったりした。ちょっと涙も出た。そして周りを見たら、メンバーでさえも、同じだった。

この空間を、失いたくない。

でもね、なぜあの瞬間だったのか分からないのだけど、ふと我に却って思った。

「このままじゃまずいんじゃないの?」と。

それは辰巳が、たきつのOUR FUTUREでOh!とPGFを歌ったときが、マイクを持って歌ったことさえ久々だったということを話し、「みんなが一番よく知ってると思うけど」って苦笑いした瞬間。

そして、ライブ後のファンの感想で、光一や松潤翔くん、事務所の大御所が観に来てくれてすごいすごいさすがふぉーゆー、各先輩方に愛されてこんなグループふぉーゆーしかいない、と、もてはやされているのを見た瞬間。分かるけど、所詮同じ事務所、所詮それでメディアに取り沙汰されるでもなし。

君たちはこのままでいいの??と疑問に思ってしまった。

「身内」に分かる魅力じゃだめなんだよね?「みんな分かるよね?」で進むステージじゃだめなんだよね?すごく楽しくて、居心地がよくて安心できて自分に還れる場所だけど、その小さな小さな場所を大切に守るために後ろを向いてちゃまずいよね?

翔くんが、バック時代から一緒だ、、と言ってくれたという。確かにそうだ。でも、じゃあどうして、芸歴も年齢だってさほど変わらない人達が、およそ15年後にいる場所がこんなにも違うのかなって考えてしまった。運がなかったとも言えるかもしれない。でも運は引き寄せるものという人もいる。そしてふぉーゆーはその運を力ずくで掴み取る力もあるんじゃないかって思ってた。

彼らがふぉーゆーという名前を得てから、昨年度までは。

ふぉーゆーを多くの人に知ってもらいたい
ここで終わりだとは思ってない
デビューしたい

この言葉を信じていた。

30歳を目前にしてデビューを狙うこと、すごくかっこいいと思う。だけど、アラサーのジャニーズJr.が「ここから始まると信じるんだ」と歌う姿が、世間の目にはどう映るかを考えると、決して明るい想像はできない。きっと誰も彼らの積み上げてきた歴史なんて興味ないし、たとえ目を向けてもらっても、仮にひよっこだったとしても、デビューして世間の目に晒されて数字や無慈悲なものと戦ってきた人達との差は確実にある、と思われる、と思う。

こんな小さな会場の、数少ないファンや観に来てくれた先輩と、思い出に浸って満足してる場合じゃないよ、が今の結論。

でも、思い出に浸って泣き虫なメンバーもファンも好きだから、ただひたすらもやもやしてる。

私はふぉーゆーにデビューしてほしいのかな?今も昔も、その答えが分からない。デビューによって得られるものもある、でもやっぱり失うものもある。いつかふぉーゆーを好きじゃなくなるときが来るかもしれない。それは何らかの理由でふぉーゆーがふぉーゆーでなくなったとき。それを恐れているのが今の本音。