咲き誇れ。

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【ネタバレ】ピンクとグレー(映画)感想

好きか嫌いかの、嫌いの方だった。
それだけ。

昨日小説の感想を書いていて良かったと思った。たぶん整理しないまま映画を見ていたら小説の方が塗り潰されていたかも。

【ネタバレ】ピンクとグレー(小説)感想 - 咲き誇れ。

感情に任せて、23時に映画を見終えてから今まで、ひたすら書き殴っている。ここから先を読んでくださる稀少な方は、自己責任ということでほとんどクレーマーな私の叫びに付き合って欲しい。

さて。

小説と映画は別物だと思って観ていた。だからほとんど原型がないのではと思うくらい変わっていたことに関しては別段文句もない。それは良いのだけど、映画がとった方向性と帰着点が私の好みではなかった。「ピンクとグレー」が原作だ、との謳い文句に騙されて嫌いな種類の、普通だったら絶対に見ない種類の映画を見てしまった。62分後の衝撃はむしろその意味で騙されたことにやっと気づいたことの方が大きかったかもしれない。首を吊るための縄から何事もなかったように降りた裕翔演じるりばちゃんを見たところで、ああ、と思った。今思えばあのシーンの裕翔の演技は秀逸だな。62分後、から数秒でその後の展開全てを示唆するような演技だった。

いや、そもそも私は小説が含んでいる要素のどれが欠けても成り立たないあの最後のシーンが大好き過ぎた。だから何かが欠けた時点で望みを断てば良かっただけの話だ。

62分の予想は微妙な当たり具合で(笑)、そもそも原作を読んで映画が決まって配役が発表されて…を時系列で追ってた人は分かるようになってたのかな。その点での情報解禁の仕方はもうちょっと考え直してもいい、と素人の私でも思うけれど。最初に「中島裕翔主演」という謳い文句が躍り出て、そのあとで配役が発表されて、ごっち役が中島裕翔と言われたので「…?主演じゃないじゃん」となり、さらにりばちゃん役が菅田くんと出て、外見的にはどう考えてもその方が正解で、でも中島裕翔主演で。…からの62分の~と言われたらそれしか考え付かない。以前に深夜にTwitter乾くるみ小説の文句をぶちまけてたのだけど、その時ピングレが予想通りだとすると同じトリックなんだけど、そうじゃないといいなーって思ってた。ら、そうだった。もう私はEndless SHOCK以外の「衝撃」という売り文句を信じないことにする。

乾小説にも言いたいけど、この作品を通して何がしたいの?というのが良く分からない。まあ少なくとも乾小説と比べたら月とスッポン、ピングレ映画の方には強いメッセージがあったけど。

でも最後のメッセージは何なんだろ。本当のごっちが、他人のことは分からない、それでいい。他人にはなれない、それでいい、と言ってたけど、それがメッセージ?

(他の方のブログを読んでそもそも監督が「分かり合えない二人」を描くことを明言していたことが分かった。だから分かり合えない二人=当たり前のことを描いて何があるというのだろう)

私は死んだことがないので死ぬ人の気持ちは分からないけれど、「お前は生きる人間、俺はそうじゃない」で片付けられるものなんだろうか。そもそも違う人間だと思っているのなら、なんでごっちはりばちゃんとの共演を望んだ?なぜりばちゃんに最後の自分を選ばせた?(あれ?最後の自分を選ばせたくだりって映画にはなかった?インタビューで「自伝を書いて欲しいと遺書に書いてあった」、だったね。ここでもあれ?って思ったんだった。ますますごっちが何を望んでいたのか分からない。)映画の中のごっちは、りばちゃんを騙して芸能界というドン底に落としたかったとしか思えない。でもそこまでりばちゃんが恨まれる理由がない。

あと、たぶん映画の中ではお姉さんははっきりと自殺したことにはなってないけれど、子供二人に先に旅立たれた、それも自らが望んで、そんなお母さんがあんな風にちゃんと生きていけるのだろうかと気になった。芸能界という麻薬漬けにされて殺されました、たまたま足を踏み入れてしまったんです、事故だったんですと言われた方がお母さんは救われるんじゃないだろうか。

お姉さんが亡くなったのがはっきりと自殺ではなかったこと、遺書もなかったこと、ごっちが高校生の時だったことの3点が小説とは変わっていたことで、小説では辛うじて納得できたごっちが死んだ理由が全く分からなくなった。小さい頃に原風景として、ステージに魅了された美しい姉、その姉が選んだ道が刻まれていたからこそごっちは、その身を滅ぼすと分かっていながら、芸能界に自らはまっていったんじゃなかったのか。映画で最後にりばちゃんが聞いた「好きだったの?」がその答え、つまり姉に恋をしていたから後を追ったっていう結論なのかなと思ったけど、なんか違うんだよな。単にそれが自分の好みではないだけか?とにかくそれは愛とか恋とかの類いではないんだって!

っていうごっちが死ぬ理由と最後のメッセージに納得がいかないというのが文句の1つ目。

(思い出したので追記。最後に小泉さん?が「蓮吾はもっと努力してた」って言ったのも興ざめしたなー。え、努力とかそういうレベルの問題なのかこれは?って。そんな在り来たりなところに帰着するのか?もうこの頃にはすっかり興ざめしてたので特に何の感情も沸かなかったけど。)

そしてもう1つ。グレーになってから(と、ネタバレを避けてる方が呟いてたので比喩的なものかと思ったら本当にグレーだった)の世界が、「これが本当の芸能界だ、どうだい汚ないだろう。どうだい狂ってるだろう。」となんだか誇らしげに感じられたのが本当に嫌だった。私の毛嫌いしている本当の芸能界(を誇張してるだろうけど)だった。吐き気がした。映画の途中、本気で今後「芸能人」と少しでも名の付く人と握手とかしたくないなと思った。映画を見ながら頭痛を感じ始めたのは62分を過ぎた頃だった。

先述したけど、好みかどうかという話だけなのだ。私はヘルタースケルターとか大嫌いなタイプだから。ヘルタースケルター見たことないけど。ビートたけしも大嫌い。見たことないけど。もしこれが芸術だと言うなら芸術なんてくそ食らえ。これがエンターテイメントだと言うならエンターテイメントなんてくそ食らえだ。

「ダメ、ゼッタイ。
僕は知らなかったんだ、一度使ったら止められないって…。」

途中からドラッグ防止の教育映像にしか見えなくなってきたから、子どもを芸能界に入れたいお母さんが近くにいたら、この映画を見せるといいと思うよ。と、精一杯の皮肉。


小説「ピンクとグレー」は確かに芸能人が書いた。でも、芸能界の暴露本ではない。フィクションだ。映画の中の台詞にあったように、綺麗に書いているんだろう。当たり前だ。だって物語だもの。作品だもの。

小説と映画は別物。何十回と唱えたけどやっぱり少し寂しかった。好きな部分が、どう映像化されるのだろうかとワクワクしていた部分が全部なかったから。

英語なんて1つも入れなかった高校生のごっちの書いた詞、が好きだったりばちゃん、が私は好きだった。なのに映画でファレノプシスが全英語詞で愕然とした。あれは何か大きな意味があるのだろうか?ファレノプシスの日本語の歌詞、すごく好きだったんだけどな。ただ、メロディーとそれを歌う裕翔の歌声は好きだったから良かった。

オニアンコウなんて、見る影もなかったし。自分の嫌った色を映すメダカも。ただこの辺りは、きっと台詞にしたらくどい。オニアンコウもメダカも小説だからできる表現なんだろう。

でもやっぱり最後のシーン。大好きな大好きなシーンは諦めきれなかった。

作家加藤シゲアキは一生懸命色んな所謂「伏線」を散りばめ続ける。わざとらしいくらいのエピソードも入れまくって。それが全て収束していって恐ろしいくらいの輝きを纏って溢れ出るのが最後のシーン。いびつな全てのものが美しく変化する。


絶望的に素晴らしいこの世界の真ん中に僕は君と共にある。

このシーンが映像化できない類いのものだということは何となく分かる。それでも、絶望的に素晴らしい世界を観てみたかった。真ん中からじゃなくていいから。それが本当に素晴らしく見えなかったとしても、誰かが「これが絶望的に素晴らしい世界だ」と思うならそれを観てみたかった。そこの表現方法を、この人の解釈はこんな表現なのか!っていう人の心の底を覗きみたい好奇心もあって。

綺麗なものが観たかったんだ。でも代わりに見せられたのは現実的で、つまらなくて、色のない絶望の世界だった。

小説の「ピンクとグレー」には悪役というか、不快感を与える人が一人もいないのだと気づいた。どうしようもなく弱いのに、必死で逃げたり、傷つけあったり、笑いあったり支えあったりしてた。そして、サリーの強さがどこか非現実的で美しくて、香凛も同じ理由で愛せた。

だからかもしれない。「しょーもな」いけど、読了後に全てを許したくなるのは。


最後に。どうでもいいけど最後までいちいちびっくりしてたのが「りばちゃん」のアクセント。自分が読んでるときに心の中で唱えてたのと違ったから。たぶん、リバー・フェニックスを想定してたので、私の「りばちゃん」は上がりアクセントだった。実際は下がってたけど、どうしてもえがちゃんを連想させて可笑しかった。

あとはROAD TO PLAYZONE。最初と最後の渋谷を走るシーン。青劇の窓。仕事で遅刻して、開演後30分ぐらいに青劇に滑り込もうと必死に走っているあの夏の自分が見えたよ…。

そして何よりも裕翔の美しさ。美しかった。本当に。ごっち役の裕翔が凄かった。死ぬ前にりばちゃんと飲んで、酔ってファレノプシスを歌う裕翔が可愛くて可愛くて可哀想で儚くて。そこだけ泣きそうになった。

総じて精巧なつくりと、俳優陣の演技に圧倒される良い映画だったと思う。ここに書いたことは、よくある「原作ファンの文句」だと思って欲しい。