咲き誇れ。

この瞬間のキセキを表す言葉はどこにあるのだろう?  ***ジャニヲタ英語部参加者募集中!***

気になるU-20ジュニア (デビュー組含む)2016年版

2016年1月「末澤誠也」更新 

以前にもこんな記事を書いた。というかインタビューズが流行っていた頃に質問に答えたものである。

 

kotonoha13.hatenablog.com

 

久しぶりに雑食のジャニーズ語りをしてみようと思う。

語り出すと論文になってしまいそうなPLAYZONE出演者はここではあえて抜かし、それ以外で最近気になっているジャニーズJr.、デビュー組について。ただしあくまでも雑食語りなので浅く広く、つまり彼らの活動の全てを見ているわけではない中でごちゃごちゃ語っているということをご了承頂けると幸いである。

 

末澤誠也

2015年5月3日。

末澤誠也という奇跡を目撃した。関西Jr.というもう一つの深い沼から意識的に目を逸らしていた私にとっては、まさしく彗星のごとく輝きながら目の前に墜ちてきたかのように。

そのくらい「舞い、恋」は衝撃的だった。その日私は、舞台の上手から見ていた。末澤くんがふらっと舞台の前方に躍り出た。真鳥とリチャを両脇に置いて片足をすっと上げて身体と地面が平行になった時、私はその顔を正面から見る形になった。その瞬間、あ、今凄いものを見てる、この瞬間が自分のジャニーズファン歴的に歴史的な瞬間になる、と直感した。上手で歌う優馬くんに向かって逼迫した表情で訴えかける。こっちに来ようとするのに、無表情に通りすぎていく人達に阻まれてかなわない。

凄いものを見た。めくるめく奇跡だった。凄い、凄いという一つの言葉だけが頭を巡って、呆然としながら曲の終わりを迎えた。

彼の年齢やジャニーズJr.としての歴史など、基本的な情報はなにも知らない。キャラクターも知らない。その後ほんの少しだけ少クラやまいジャニで見かけた末澤くんは、声が高くて、背もステージで見た時のイメージより全然小さくて、あまり締まりのないふわふわした表情で、とにかく舞台上での印象とのギャップが大きかった。

ドッグファイトに彼が出演することが分かった時には、何の迷いもなく観劇の手配を進めている自分がいた。突然の出演、それが主演の屋良くんも驚くほどの異例なことだというのは分かっていた。でも、「あの」末澤くんなら。そう言うこともあるかもしれない、と冷静に申込用紙を書いていたような気がする。

外部の舞台で再び見た末澤くんは、やっぱりその背より大きく大きく見えた。たとえメインキャストではなく真ん中に立つことは少なくても、舞台の端で輝いていた。

そして2016年1月13日。

この日発売した中山優馬ソロコンサートBRの特典映像であるドキュメンタリーには、「舞い、恋」はもちろんのこと、末澤くんの涙が映っていた。目の回りを真っ赤にした泣き顔は、2つ目の奇跡かと思うくらい綺麗だった。

たった約半年でこれだけのものを見せられたら、追うしかない。1分、1秒できっと変化していく末澤くんをもう少し見ていたい。

マリウスは初見のキスマイコンで見た時にある程度のところまでハマっていたのではという気がしている。ちっちゃい美少年が日本語がたどたどしいながらも一生懸命にステージ上で話していた。そして、その後みるみるうちに日本語は上達し、背も伸びて顔つきも精悍になっていった。

もともと混じっている血からだろうか、その成長は他の同年代の日本人と比べてもかなりの早さで、それは「この子から目を離しちゃいけない」と思わせるには十分だった。外見だけじゃない、マリウスの数々の発言には何か普通の中学生を超越したような、むしろ人間の視点を超越したような何かがある。世界平和を願ったり、人と人とのつながりを願ったり。うまく言い表すことが出来ないのだが、なんとなく視点が上なのだ。それは決して上から目線というわけではない。自分が天上人で人間界を見下ろしていることを当然に思っている風で全くいやみがない。たぶん、つまり、マリウスは天使なのだ。

今となってはドイツ語、英語、日本語を操る天使マリウス。まいジャニのジャニワ特集で関西ジュニアを前にしてマリウスのお口から思わず出た神戸弁を聞いた時に、完全にマリウスに落ちた。

マリウスは次の自担候補でもある。ただし、現担当に何があろうとマリウスが担当になることはないと思う。あくまでも次の自担候補という枠があってそこに入れておきたいのだ。

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彼は、私の中に稀に存在する、嫌いだったのにある瞬間から大好きになってしまったジャニーズの一人である。ちなみにその他にこれに該当するのが中山優馬と山田涼介。嫌いだった分その精神的な壁を乗り越えて転がり落ちた先の沼は深い。

嫌いだった理由はただ一つで、中学生なのに茶髪だったから。今でもそこは受け入れていないけれど、まあ過去のことだしもういいだろう。

不覚にも彼にやられたと思ったのは2014年夏、ガムシャラのパフォーマンスバトルの練習中に松倉がダウンしたときの対応を見て、である。無理する松倉に半ば強引に休養を取らせようとする。


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言い方はぶっきらぼうで、照れ隠しなのか冗談も交えつつ、優しい言葉をかける神宮寺が少女漫画の男の子のようだった。国民の彼氏の名を持つ彼だが、私が好きなのはその名の通りの王道感だ。普通言わないだろうような青春王道ど真ん中の台詞を言って欲しいトーンで言ってのける。

今年の夏、唯一観に行ったガムシャラパフォーマンスバトルは彼のいる者vs我。負けてしまった彼は好きな子を不良から守り切れなかったみたいな悔しそうな顔をしていた。かと思うとウナギを前にしてキャーキャー言いながらおネエかのような仕草で逃げ回る姿もテレビで惜しげもなく晒している。まだまだ彼の沼は深そうだ。 

 

  • 岸優太

SHOCK出演初年度、私が初めて観劇してSHOCKの中の岸くんを目撃した日がまごうことなき革命の日だった。

岸くんはカンパニーの中にすっと入り込んでいた。末っ子として可愛がられて、でも甘やかされていないのがよく分かる体当たりの演技に見えた。何より告白のシーンから号泣を始める岸くんは、初めて見たら一体どうしたのかと思うくらい本気で泣いていた。そしてCONTINUE、コウイチが歌っている入り部分ではもういい加減倒れてしまうんじゃないかと心配になるほど喘ぎながら泣いていた岸くんが、自分の歌い出すパートになった瞬間光が差したみたいにぱーっと笑顔になって、しかも一つ成長して大人になったみたいな強い眼差しを称えた笑顔で、その一瞬の表情の変化に鳥肌がたった。表情の変化だけでこんなに心動かされるのか、と思った。

はたして「岸くん大好き」になった私がもう一度ドキッとするのはお兄ちゃん、ガチャ。髪を短くしよりモンチッチ感の出た岸くん。さらに段々と男らしい顔つきになってきた岸くんは結構好きなタイプの見た目になっていた。そんな岸くんが演じたトイの、優男っぷりはなんだ!しかも素直じゃないし!悲しい過去を抱えてるし!!

そして岸くんの一番大好きな点。それは最大級に笑った時の笑顔。最大級なのでたまにしか出てこないけれど、これは説明出来ない。見て!


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言語学習に関するアンケート結果

当ブログにて以下の通りアンケートを実施しました。

タイトル:言語学習に関するアンケート

期間:2015年12月7日~12月19日

有効回答数:33

大変多くの方にご協力を頂きました。誠にありがとうございました。

まず、こちらのアンケートを実施した経緯を記しておきたいと思います。

当ブログ記事でも書いております通り、当ブログ管理人はジャニヲタ英語部を定期的に主催し、これまでたくさんの方にご参加頂いております。活動の中で、とても流暢な英語を話す方、本当に意欲的に英語学習に取り組んでいる方、様々な国際的な文化的背景を持つ方に出会う機会に恵まれました。そして、単純に興味が沸いてきました。みんな、どんな風に英語学習に取り組んできて、今こんなに流暢に、楽しそうに英語を話しているんだろう…?それを知ることができたら、さらに共有できたら、もっともっと楽しく英語を学べるんじゃないかな、と。

本当はひとりひとりにインタビューをしてみたかったのですが、それはあまりにも仰々しいので、今回アンケートという形でご協力をお願いしてみました。そのような経緯があるため、アンケート結果は統計をとるものではありません。一人一人のコメント等を読んで、学習の足を止めそうになった時に元気を出すためのもの、と思ってご覧頂ければと思います。

 

1.回答者属性(有効回答数33)

母語:日本語 33名

②性別:女性 33名

③年齢:

~10代・8名/20代・16名/30代・6名/40代~・3名

④職業:

高校生・4名/ 大学生、専門学校生・12名/大学院生等・2名/会社員(接客)・3名/会社員(事務)・2名/会社員(教育)・3名/会社員(その他)・4名/国家公務員・1名/専業主婦・2名 ※現職、前職を書いてくださっている方はどちらも数に入れています。

⑤取得資格:

英検 準1級・4名/2級・5名/準2級・7名/3級・1名(最終取得級のみ換算)

TOEIC スコア900代・2名/800代・4名/700代・2名/~600代・6名

その他、TOEIC S/W、TOEFL、IELTS、国連英検ケンブリッジ英語検定、日本語検定

 

2.アンケート結果

 

問8 現在、何のために英語を学んでいますか。一番大きな目的をお書き下さい。

・進学、就職、転職など将来のため 9票

自己啓発のため 4票

・現職(学校など)で必要なため 4票

・英語を習得したい、英語自体や英語を通して学べることへの理解を深めたい 3票

・海外の人とコミュニケーションを取るため 2票

・以前に身に付けた語学力の低下を防ぐため 2票

・趣味として、楽しいから 2票

・旅行で使いたいから 1票

・資格取得のため 1票

 

問9 英語学習へのモチベーションが上がるのはどんな時ですか。回答

 

問10 自分は英語が得意だ/得意な方だと思いますか、それとも苦手だ/苦手な方だと思いますか。

・どちらかと言えば得意な方だ 20票

・苦手な方だ 7票

・苦手だ 3票

・無回答 3票

 

問11 問10に関して、なぜそう思いますか。回答

 

問12 英語、英語を学ぶことは好きですか。

・好き 15票

・どちらかと言えば好き 13票

・無回答 5票

 

問13 問12に関して、なぜそう思いますか。回答 

 

問14、15、19の回答に関しては、あえて精査はせず超ランダムで載せてあります。色々な状況で経験を積み、今現在色々な場所に居られる方々の回答一つ一つそれぞれにとても勇気付けられ参考になりました。ものすごい量ですが、ぜひ全て目を通して頂きたいです!

 

問14 これまでに自分の中で一番成功したと思う英語の勉強はなんですか?その時の勉強の目的と方法を教えて下さい。回答

 

問15 人にすすめるとしたら、どんな勉強法(やり方、書籍教材、メディア教材、教室やサークルなど)をおすすめしますか。できるだけ具体的にお書き下さい。回答

 

問19 あなたにとって英語、英語学習とはなんですか。どんなことでも構いませんので自由にご記入ください。回答

 

 

3.アンケート結果総括

まず結果を眺めて印象的だったことは、英語が得意/苦手かという質問と、英語が好きかという質問に対する回答です。回答してくださった方はほとんど言語学習に興味を持っている方だと思うので、英語が好き15票、どちらかと言えば好き13票、無回答5票という結果は当然かとも思います。しかしその一方で英語が得意/苦手かという質問には得意な方だ20票、苦手な方だ7票、苦手だ3票、無回答3票で「得意だ」と回答した方が1人もいませんでした。

これは、謙遜からくる結果なのかなと思いましたが、なぜそう思うかの理由を見てみるとただの謙遜ではないということが分かりました。学習が進むにつれてこれまで知らなかったことの多さに初めて気付いて驚いたり、またたとえ英語を話せても、自分の思っていることを思い通りに伝えられているわけではないというもどかしさに直面したりというコメントから察するに、もっともっと広い世界を知りたい、自由にコミュニケーションをとりたいという意欲が、英語学習を「得意だ」とは言わせない貪欲さにつながっているのかなと感じました。

またそもそも、「得意だと思うか」という質問自体は、その人の英語力を測るという意味では役に立たないものだったのではないかというのが今回のアンケートで思ったことです。つまり私がこの質問をしたことが元凶なのですが…。結果の詳細でも書きましたが、「得意」を測る正確な指標はどこにもありません。ということは、数値として出ているテストの結果や何やらではなくて、自分が英語に対してどのくらい自信を持っているか、積極的な態度を持っているかというのがこの質問の回答から分かることなのだと思います。その意味では、とても重要なことが感じられた質問とも言えそうです。

さらに、あなたにとっての英語、英語学習とは何かという質問には、多くの方が熱い思いを寄せて下さり、とても興味深く読みました。英語が自分のキャリアを形成するためのツールであったり、英語が世界の様々な人や文化を知り視野を広げてくれるツールだったりします。また現在の生活に当たり前に必要となるものである方もいれば、生活に必要はないけれど趣味である、テンションがあがるものだという方もいます。中には英語が自分のアイデンティティであり、自分という人間を形成するものだという方も。

ただの学問でもないし、ただの道具でもないという英語の持つ特質が、こんな風に色んな接し方をする可能性を生んでいるのだなと改めて感じました。

アンケートを見てもう一つ分かったことがあります。それは、皆さん、涼しい顔をして並々ならぬ努力をしているということでした。冒頭でも書いたように英語部では「なんでこんなに喋れるの!?」という方にたくさんお会いしてきました。なんということはない、皆さん本当に努力をされているからなんですね。

そんなわけで、成功したと思う学習方法、勧めたい学習方法は全てがとてもとても参考になるものでした。恐らく、全ての人にとって最高の勉強法というのはありません。ここに書いて下さった学習方法は、それぞれの方が試行錯誤をして見つけた、自分にとって最適な学習方法なのだと思います。そんな努力の結晶だけをさらっと頂くようで大変気が引けるのですが、どーんと全て共有させて頂きます。改めて、ありがとうございます。

けれど、最終的に重要なのは努力をどのように継続させるかということ。モチベーションの上げ方も皆さんそれぞれですが、嬉しい、楽しい、好きというとても単純なプラスの気持ちがその芯にあるという場合が多いのかなと感じています。

最後に、英語部に関わってくださっている方、参加は出来ないけどお声をかけて下さる方、本当にありがとうございます。今回のアンケートでもたくさんのご意見や嬉しいお言葉を頂きました。2015年、私的なことですが英語部の活動に救われることが多く本当に感謝しています。2016年も変わらず気軽に英語を使える場を作っていけたら、そしてそれを通してたくさんの方に出会えたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願い致します。 

【ネタバレ】ピンクとグレー(映画)感想

好きか嫌いかの、嫌いの方だった。
それだけ。

昨日小説の感想を書いていて良かったと思った。たぶん整理しないまま映画を見ていたら小説の方が塗り潰されていたかも。

【ネタバレ】ピンクとグレー(小説)感想 - 咲き誇れ。

感情に任せて、23時に映画を見終えてから今まで、ひたすら書き殴っている。ここから先を読んでくださる稀少な方は、自己責任ということでほとんどクレーマーな私の叫びに付き合って欲しい。

さて。

小説と映画は別物だと思って観ていた。だからほとんど原型がないのではと思うくらい変わっていたことに関しては別段文句もない。それは良いのだけど、映画がとった方向性と帰着点が私の好みではなかった。「ピンクとグレー」が原作だ、との謳い文句に騙されて嫌いな種類の、普通だったら絶対に見ない種類の映画を見てしまった。62分後の衝撃はむしろその意味で騙されたことにやっと気づいたことの方が大きかったかもしれない。首を吊るための縄から何事もなかったように降りた裕翔演じるりばちゃんを見たところで、ああ、と思った。今思えばあのシーンの裕翔の演技は秀逸だな。62分後、から数秒でその後の展開全てを示唆するような演技だった。

いや、そもそも私は小説が含んでいる要素のどれが欠けても成り立たないあの最後のシーンが大好き過ぎた。だから何かが欠けた時点で望みを断てば良かっただけの話だ。

62分の予想は微妙な当たり具合で(笑)、そもそも原作を読んで映画が決まって配役が発表されて…を時系列で追ってた人は分かるようになってたのかな。その点での情報解禁の仕方はもうちょっと考え直してもいい、と素人の私でも思うけれど。最初に「中島裕翔主演」という謳い文句が躍り出て、そのあとで配役が発表されて、ごっち役が中島裕翔と言われたので「…?主演じゃないじゃん」となり、さらにりばちゃん役が菅田くんと出て、外見的にはどう考えてもその方が正解で、でも中島裕翔主演で。…からの62分の~と言われたらそれしか考え付かない。以前に深夜にTwitter乾くるみ小説の文句をぶちまけてたのだけど、その時ピングレが予想通りだとすると同じトリックなんだけど、そうじゃないといいなーって思ってた。ら、そうだった。もう私はEndless SHOCK以外の「衝撃」という売り文句を信じないことにする。

乾小説にも言いたいけど、この作品を通して何がしたいの?というのが良く分からない。まあ少なくとも乾小説と比べたら月とスッポン、ピングレ映画の方には強いメッセージがあったけど。

でも最後のメッセージは何なんだろ。本当のごっちが、他人のことは分からない、それでいい。他人にはなれない、それでいい、と言ってたけど、それがメッセージ?

(他の方のブログを読んでそもそも監督が「分かり合えない二人」を描くことを明言していたことが分かった。だから分かり合えない二人=当たり前のことを描いて何があるというのだろう)

私は死んだことがないので死ぬ人の気持ちは分からないけれど、「お前は生きる人間、俺はそうじゃない」で片付けられるものなんだろうか。そもそも違う人間だと思っているのなら、なんでごっちはりばちゃんとの共演を望んだ?なぜりばちゃんに最後の自分を選ばせた?(あれ?最後の自分を選ばせたくだりって映画にはなかった?インタビューで「自伝を書いて欲しいと遺書に書いてあった」、だったね。ここでもあれ?って思ったんだった。ますますごっちが何を望んでいたのか分からない。)映画の中のごっちは、りばちゃんを騙して芸能界というドン底に落としたかったとしか思えない。でもそこまでりばちゃんが恨まれる理由がない。

あと、たぶん映画の中ではお姉さんははっきりと自殺したことにはなってないけれど、子供二人に先に旅立たれた、それも自らが望んで、そんなお母さんがあんな風にちゃんと生きていけるのだろうかと気になった。芸能界という麻薬漬けにされて殺されました、たまたま足を踏み入れてしまったんです、事故だったんですと言われた方がお母さんは救われるんじゃないだろうか。

お姉さんが亡くなったのがはっきりと自殺ではなかったこと、遺書もなかったこと、ごっちが高校生の時だったことの3点が小説とは変わっていたことで、小説では辛うじて納得できたごっちが死んだ理由が全く分からなくなった。小さい頃に原風景として、ステージに魅了された美しい姉、その姉が選んだ道が刻まれていたからこそごっちは、その身を滅ぼすと分かっていながら、芸能界に自らはまっていったんじゃなかったのか。映画で最後にりばちゃんが聞いた「好きだったの?」がその答え、つまり姉に恋をしていたから後を追ったっていう結論なのかなと思ったけど、なんか違うんだよな。単にそれが自分の好みではないだけか?とにかくそれは愛とか恋とかの類いではないんだって!

っていうごっちが死ぬ理由と最後のメッセージに納得がいかないというのが文句の1つ目。

(思い出したので追記。最後に小泉さん?が「蓮吾はもっと努力してた」って言ったのも興ざめしたなー。え、努力とかそういうレベルの問題なのかこれは?って。そんな在り来たりなところに帰着するのか?もうこの頃にはすっかり興ざめしてたので特に何の感情も沸かなかったけど。)

そしてもう1つ。グレーになってから(と、ネタバレを避けてる方が呟いてたので比喩的なものかと思ったら本当にグレーだった)の世界が、「これが本当の芸能界だ、どうだい汚ないだろう。どうだい狂ってるだろう。」となんだか誇らしげに感じられたのが本当に嫌だった。私の毛嫌いしている本当の芸能界(を誇張してるだろうけど)だった。吐き気がした。映画の途中、本気で今後「芸能人」と少しでも名の付く人と握手とかしたくないなと思った。映画を見ながら頭痛を感じ始めたのは62分を過ぎた頃だった。

先述したけど、好みかどうかという話だけなのだ。私はヘルタースケルターとか大嫌いなタイプだから。ヘルタースケルター見たことないけど。ビートたけしも大嫌い。見たことないけど。もしこれが芸術だと言うなら芸術なんてくそ食らえ。これがエンターテイメントだと言うならエンターテイメントなんてくそ食らえだ。

「ダメ、ゼッタイ。
僕は知らなかったんだ、一度使ったら止められないって…。」

途中からドラッグ防止の教育映像にしか見えなくなってきたから、子どもを芸能界に入れたいお母さんが近くにいたら、この映画を見せるといいと思うよ。と、精一杯の皮肉。


小説「ピンクとグレー」は確かに芸能人が書いた。でも、芸能界の暴露本ではない。フィクションだ。映画の中の台詞にあったように、綺麗に書いているんだろう。当たり前だ。だって物語だもの。作品だもの。

小説と映画は別物。何十回と唱えたけどやっぱり少し寂しかった。好きな部分が、どう映像化されるのだろうかとワクワクしていた部分が全部なかったから。

英語なんて1つも入れなかった高校生のごっちの書いた詞、が好きだったりばちゃん、が私は好きだった。なのに映画でファレノプシスが全英語詞で愕然とした。あれは何か大きな意味があるのだろうか?ファレノプシスの日本語の歌詞、すごく好きだったんだけどな。ただ、メロディーとそれを歌う裕翔の歌声は好きだったから良かった。

オニアンコウなんて、見る影もなかったし。自分の嫌った色を映すメダカも。ただこの辺りは、きっと台詞にしたらくどい。オニアンコウもメダカも小説だからできる表現なんだろう。

でもやっぱり最後のシーン。大好きな大好きなシーンは諦めきれなかった。

作家加藤シゲアキは一生懸命色んな所謂「伏線」を散りばめ続ける。わざとらしいくらいのエピソードも入れまくって。それが全て収束していって恐ろしいくらいの輝きを纏って溢れ出るのが最後のシーン。いびつな全てのものが美しく変化する。


絶望的に素晴らしいこの世界の真ん中に僕は君と共にある。

このシーンが映像化できない類いのものだということは何となく分かる。それでも、絶望的に素晴らしい世界を観てみたかった。真ん中からじゃなくていいから。それが本当に素晴らしく見えなかったとしても、誰かが「これが絶望的に素晴らしい世界だ」と思うならそれを観てみたかった。そこの表現方法を、この人の解釈はこんな表現なのか!っていう人の心の底を覗きみたい好奇心もあって。

綺麗なものが観たかったんだ。でも代わりに見せられたのは現実的で、つまらなくて、色のない絶望の世界だった。

小説の「ピンクとグレー」には悪役というか、不快感を与える人が一人もいないのだと気づいた。どうしようもなく弱いのに、必死で逃げたり、傷つけあったり、笑いあったり支えあったりしてた。そして、サリーの強さがどこか非現実的で美しくて、香凛も同じ理由で愛せた。

だからかもしれない。「しょーもな」いけど、読了後に全てを許したくなるのは。


最後に。どうでもいいけど最後までいちいちびっくりしてたのが「りばちゃん」のアクセント。自分が読んでるときに心の中で唱えてたのと違ったから。たぶん、リバー・フェニックスを想定してたので、私の「りばちゃん」は上がりアクセントだった。実際は下がってたけど、どうしてもえがちゃんを連想させて可笑しかった。

あとはROAD TO PLAYZONE。最初と最後の渋谷を走るシーン。青劇の窓。仕事で遅刻して、開演後30分ぐらいに青劇に滑り込もうと必死に走っているあの夏の自分が見えたよ…。

そして何よりも裕翔の美しさ。美しかった。本当に。ごっち役の裕翔が凄かった。死ぬ前にりばちゃんと飲んで、酔ってファレノプシスを歌う裕翔が可愛くて可愛くて可哀想で儚くて。そこだけ泣きそうになった。

総じて精巧なつくりと、俳優陣の演技に圧倒される良い映画だったと思う。ここに書いたことは、よくある「原作ファンの文句」だと思って欲しい。

【ネタバレ】ピンクとグレー(小説)感想

思いっきりネタバレしています。
3回目、読了。映画はまだ見ていません。


舗装されてない道を進んでいる印象。文章も少し読みづらくてすっと入ってこないところ、表現が強すぎて拒絶したくなるところがたまにある。洗練されていない。それが読み始めの印象。内容も然りで、ごつごつしてて、歪みがたくさん見えて、荒削りだけどその分なぜか強い。

この作品を読んで、私は色んなことを許したくなった。自分自身の話だけど、私はアイドルを四六時中愛でている一方で、芸能界を毛嫌いし時には憎しみに近い感情を持っていた。その感情には作中で大貴の気持ちを形容している表現がちょうど当てはまる気がする。ごっちの活躍を喜ぶ気持ちと、転落を願う気持ちが強弱なく存在する、という表現。

だけどこの作品を読んだことで、ああそうだったのかと、全てを受け入れられる気がした。当時は時期的なこともあったし、やまぴーのことを考えながら読んでたけど、読み終わった後は、脱退を選んだ彼をすんなり受け入れられた。芸能界に一度足を踏み入れたがためにそれを引き摺って不幸になってるようにしか見えなかったある人のことも。田口の10000字を読んだときも同じ気持ちになった。

オニアンコウになりたいというごっちの言葉があまりにも腑に落ちた。ここではもちろんごっちの心の内を吐露するための例え話で、りばちゃんという親しい人と、という話なので状況は違うが、人に勇気や希望を与えて自身は麻薬漬けの人のように心も身体もボロボロになっていくアイドルを連想させるには、オニアンコウは十分な表現だと思った。

シゲは自分もアイドルだけど、苦しい想いをたくさんたくさんした当事者だと思うけど、もしかしてどこか客観的にアイドルやその他の芸能人の悦びや哀しみを見てる人なのかなと思った。そうでなければ芸能界にいる人が、芸能界のことをはっきりと「中毒」だと言い切ることはできない気がして。

ファレノプシス。蘭。人が集まってビルのようなものを形成し、その頂上で美しく花開く。それは一瞬で、その一瞬後には美しく回転しながら散って終わり。その終わりが全ての終わり。

シゲにとっての芸能界はこんな感じなんだろうか。

初読時にも思ったことだけど、3回目の今回も思った。冒頭で書いた読み進み辛さは後半ではほとんど感じない。一度こぼれた水が速度を増して落ちていくように、でこぼこ道をそのスピードを持ってして滑らかに進んでいくかのように。

とにかくどんどん加速して行って最後にバッシャーーン!となる。最後に向かうシーンで頭に浮かぶのはEndless SHOCK。そして最後の最後のシーンはなぜかジャニーズワールドで見た光景に繋がる。ステージに魅了され止まることができないカンパニー、そして狂気に支配されて恐ろしいほど美しいステージを造り出すプロデューサー。

ところで62分の衝撃の予想。最初は映画から始まる。その映画は菅田くんが主役。裕翔は「どちらかというとごっちに似ている若手俳優」役。そして62分で映画が終わり、本来の役になる。つまり、ごっちは裕翔で菅田くんがりばちゃん。でもそれだとあの美しい最後のシーンが真ん中に来ることになるな…。さてどうなるのでしょう。今夜見てきます。

【作品発表】ジャニヲタ文芸部×英語部コラボ企画~英語でジャニーズを語ろうinはてなブログ~

あけましておめでとうございます。

ジャニヲタ英語部、2016年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、今回ジャニヲタ英語部writingと題して募集をさせて頂きました、ジャニヲタ文芸部×英語部コラボ企画~英語でジャニーズを語ろうinはてなブログ~の作品を発表させて頂きます。

ichigonokimi.hatenablog.jp

ジャニヲタ文芸部さんと共通のお題は「カウントダウン」

今回は5つの作品が集まりました。栞さん、七那さん、しーちゃん、てぃーみきちゃんありがとうございました!

 

bookmared.hatenablog.com

nanayanyade.hatenablog.com

capriccioso.hatenablog.jp

 

kotonoha13.hatenablog.com

 年末年始は(現場で)思った以上に忙しいもので、自分も含め本当にお忙しい中での作品だと思います。本当にありがとうございました。

 

今後も通常のジャニヲタ英語部と合わせて定期的にやっていきたいと思っております。都合のつくとき、気が向いたときにご参加頂けますと嬉しいです!

カウントダウン―最後の贈り物

日本語版でジャニヲタ文芸部さんに参加させて頂きます。
第二回ジャニヲタ文芸部お題発表 - カーテンコール

きっと私には泣く権利がある。きっと。
KAT-TUNは彼の青春だ。そして私にとっても。単に彼のことを好きだから、私は泣くことを許されたくて仕方がないのだ。

彼のことが好きだった。彼の演技が好きだった。彼の外見が好きだった。そして彼がステージに立つその姿勢が好きだった。

私の知る限り、彼はいつも真っ直ぐに背筋を伸ばし、前を真っ直ぐに見据えて舞台に立っていた。その姿は、彼の心に真っ直ぐ通った彼の信念を表しているかのようだった。

彼はかつてアイドルであることを選んだ。そして、アイドルとしての自分の仕事を愛していたのだと思う。私たちが彼のことを愛していたのと同じように。けれど、彼はアイドルであることを運命付けられたわけでは決してない。今、彼はアイドルではなくなることを選んだ。

このことに関して、私がこれ以上何かを言うつもりはない。彼の選択が正しいかどうか、決して知ることはないだろう。けれど、彼は私たちに一つ贈り物をくれたと思っている。それがカウントダウンの期間だ。

きっと、残りの日数が減っていくのを見る時間は辛いものになるだろう。それは本人にとってはきっと、もっともっと辛い時間だ。いつでも100%の演者で居続けようとし続けてきた彼が、この期間に100%でいることはできない。加えて、ファンの悲しみの声、非難の声をたくさんたくさん聞くだろう。それでも、私たちはそれを必要とし、彼はそれを贈ってくれた。私たちはそこにいるはずの彼がいないことを今すぐ受け入れるには、彼のことを愛しすぎている。

カウントダウンは未来のための期間だ。私たちは少なくとも泣くことができる。こんな記事を書くこともできる。それがせめてもの救い。未来を真っ直ぐ見据えて生きていくためには必要な。

彼の決断と、担当の幸大のこととは何の関係もない。でも、どうしても彼のことを考えずにはいられない。その時はいつ来るのか?正直なところ、いつでもその事を考えている。

いつでもパラドックスの中にいるのだ。私は今カウントダウンコンサートで幸大に会えるのをとても楽しみにしている。じっと待っている。でも早く来て欲しいとは思っていない。

コンサートの日を待つ時はいつでも、考える。このカウントダウンは、一体何へのカウントダウンだろう。次のステップへのカウントダウン?それとも最後の日への?

私は幸大が一人になった時、一人になってもステージで立ち続ける決断をしたことを知った時、嬉しかった。でも不安もあった。

きっとカウントダウンをするべきではないのだと思う。彼の笑顔を数えて行けば良いのだ。永遠に数え続けていよう。

でも、もし…もしもその時が来るのなら。私はカウントダウンの期間が欲しい。3、2、1で立ち上がって前を向くから。

The period of countdown―The last gift

I may have a right to cry. Maybe…I have.

He thinks KAT-TUN is his youth, and so do I.

Simply because I love him, I hope I will be allowed to cry.

 

I love him. I love his performance. I love his appearance. I love his smile.

I love his way of standing on the stage.

 

As far as I know, he always stands on the stage with his back up straight, seeing straight in front of him. His figure on the stage seems to stand for his one straight principle inside his heart.

 

He once chose to be an idol. He has loved his job as an idol in the same way as we have loved him. He, however, has never been destined to be an idol. Now, he chose not to be an idol.

 

I won’t say anything more about this. I never know whether his choice is good or not. But I believe he gave us just one gift, the period of countdown.

 

It may be hard time for us to see the number of the rest days is decreasing. And it must be still more difficult time for him. He, who has tried to be a perfect entertainer all the time, cannot be perfect in the period. Besides, he will have to listen to many many voices of grief. Sometimes he could be a target of criticism.  And yet we still need it, and he gave it to us.  We all love him too much to accept his missing right now.

 

The countdown is for the future. At least we can cry. At least I can write this kind of article. It could be the only one relief for us. We desparately need it so that we can go straight to the future.

 

Clearly, his decision has nothing to do with My Dear's, I mean, Kota's career, but I cannot help thinking about him. When will the time come? Honestly, I’m always wondering about that.

 

It's a paradox. Now, I really look forward to seeing Kota in Johnny’s countdown concert. I’m waiting for it coming, but I don’t want the day to come so soon.

 

Every time I’m waiting for the day of the concert, I don’t know what this countdown is for. Is it for the next stage, or for the doom day?

 

When Kota decided to remain in Johnny's even though he became alone in his unit, I felt happy.


At the same time, I also felt uncertainty.  

 

I suppose I should not count down. I should count up his smile. I will count up his smile forever.

 

But if, if the time come...

I will need the period of countdown. I'm anxious to stand up, seeing straight for the future, with the countdown 3, 2, 1.